ケロロ軍曹、結構痛いとこ突いてるよ……

 久しぶりにアニメの感想を少々。というのも、ケロロ軍曹の第67話、Bの方「ケロロなあ、ゲームを作ろうじゃないか」がわりと痛いところを突いてると思ったから。

<以下ネタバレ>

 話は、ケロロ軍曹が夏美がゲームに熱中してるのを見て、あさはかにも。これは儲かると考えて、自分たちもゲームを作って一儲けしようと言う、いつも通りの展開。

 ケロロ小隊のメンバーがそれぞれに自分たちがやりたいゲームのアイディアを披露するも、その全てを却下してしまうケロロ軍曹。みんなはそんな軍曹に愛想を尽かして出て行ってしまう。で、ドロロに諭されたケロロは、心を入れ替え、みんなにもう一度ゲームを作ろうという。曰く、「自分たちが楽しい、やりたいゲームをつくろう」と。

 で、できあがったゲームはというと、現行のゲーム機では表現できず、専用のゲーム機を必要とし、そのゲーム機にはコントローラーには膨大な数のボタンがあって、アイディアすべてを詰め込んだために、容量がDVD256枚になり、メチャクチャな難易度設定に不満を漏らすプレイヤーに対して、開発者への冒涜だとののしり、自らが見本を見せるとのたまう。そして、コントローラーを手にしたケロロはゲームの中へと引きずりこまれ、そこで、夏美がコンセントを抜いてしまう、というオチ。

<ネタバレ終了>

 これ、元ゲームプランナーとしては、ものすごーく、今のゲーム業界の現状を適確に言い当てていて、イタタタって感じ。

 ゲーム屋ってようはゲーオタの集団。で、そいつらが、自分たちが楽しいゲームを作るから、当然、ゲーオタにしか受けないゲームができあがる。そして、そういうゲームを作りたいひとがゲーム屋になるから、またまた、同じようなゲームが出来あがる。この繰り返し。

 確かに、”自分たちが楽しいと思えるゲームを作る”ってのは正論なんだろうけど、その作り手の感覚が一般人が楽しいと感じる感性とはずれていれば、どういうことになるかは目に見えてる。

 自分が開発の現場に居たときもよくあった。「お前、それ自分で楽しいと思うか?」ってね。そんなの日常茶飯事。でも、大事なのは自分が楽しいと思うかではなくて、ユーザーが楽しいと思うかなんじゃないかと。もちろん、作り手の感覚とユーザーの感覚が近ければ、それで問題ないんだけど、それは有り得ない(上のような理由で)。もちろん、自分たちにも自覚があるはず。おれらの感覚は一般人とはかけはなれていると。だってそうじゃなかったら、わざわざゲーム業界なんかに入らないでしょう。

 でも、あえてその感覚のズレには目をつむる。なぜかと言えば、楽しくないから。自分たちが楽しいゲームを作った方が楽しいに決まってるから。だってそのために会社に入ったんだし。だから、一般人の感覚を理解しようともしない。いや、もはや出来ないのかも。

 自分がいた会社(まあ、ゲーム業界では中堅から大手ぐらいかなあ)の場合もそうだった。一番信じられなかったのが、ゲームの制作を開始するに当たって、ほとんどマーケティングリサーチらしいことを何一つしないこと。客観的なデータを集めたりすることはなく、すべては開発者の勘。

「今市場ではこんなゲームが売れていて、それはこれこれこういう理由で、こういうものが求められているからで、だから今度はこういうターゲットに対して、こういう面白さを提供すれば、売れる」

 こういうプレゼンが、リサーチに基づく資料などによって説得力を持って語られることはなく、なんとなく偉い人が、「こんなゲーム売れてるらしいよ。だから、うちもこんなかんじの(具体的なゲーム名があげられること多し)ゲームだせばいいんじゃねえ?」で始まってしまう。

 そんなことだから、途中で世の中の風向きが変われば、突然、やっぱこんな感じ(その時流行のゲーム)にしようとなって、その繰り返しで開発が遅れる。だいたい、ゲームの開発って2〜3年かかることはわかっているのだから、発売する時期=2〜3年先の傾向を予想していなければならない。それは、来年の流行の色や服を当てるのよりも難しいのに、一部の偉い人の勘頼みってどうなのよと。

 比較するのもどうかと思うけど、自動車業界なんかだと、日常的に徹底したリサーチをして、データを蓄積している。ライバル車の実名をだしてどうどうと売れてる理由をさぐる、みたいに。かたやゲーム業界(自分が知ってるのは、コンシューマー向けのみ。大型のアミューズメントマシンとかはちゃんとしてそうな気もするけど)はそういう努力が皆無。今やゲームは巨大産業で、日本が誇る有数の優良産業なんて言われているが、その実体はお粗末なもの。マニア上がりの現場トップが、経営のプロであるかのような顔をして、根拠のない”売れる”ゲーム作りをさせる。

 今はゲームにかぎらず、技術の進歩のおかげで、作り手と受け手の境界が曖昧になってきてる。そういう中では、同人ゲームから大ヒットが生まれたりするわけで、だから、作り手が楽しいと思うゲームを作るななどと言いたい訳じゃない。ただ、その手のゲームは、どうしても一部のパイでしかなく、新たなパイを創造してはくれない。それを繰り返していては市場は縮小していくだけになってしまう。

 それを避けるための方策はいくつかあるけど、一番いいのは、もっと外に向かってオープンな姿勢をしめすこと。受け身では、よってくるのは同じ穴の狢たちだけ。考えてみるに、パラッパとか、IQとか、そういうプレステ全盛期のちょっと変わった系のゲームってみんなゲーム業界の外の人が作っていたわけで、その手のゲームが、プレステに一般ユーザーを大量に引っ張って来ていた。そういう外に人たちがゲームに手を出してみてもいいかもって思える魅力をアピールしていかないと。ようは、血が濃すぎると色々と問題が起こるってこと。

 ケロロ軍曹が、ゲームの大容量化、複雑化、マニアである作り手と、一般の受け手との遊離という問題とか、そういうゲーム業界の悪循環を非常によく表現していて、つい愚痴りたくなってしまったわけ。

 なんだか非常にまとまりのない悪文で申し訳ないです。ここまで付き合ってくれた人、どうもありがとうございました。