秋葉原

ニュースを見た。気がつくと、涙が頬をつたっていた。悲しかった。悔しかった。
大学生のころ、毎週ゲームを買いに通ってた。3年前、無職だった自分が社会復帰をできたのも、秋葉原でなら働きたいと思えたから。子供のころ、家族で秋葉原に行って、色んな家電を買った。小学生のころ、秋葉原でMSXを買ってもらった。中学生のころ、出たばかりのスーパーファミコンを探し回ったあげく、抱き合わせでなんとか手に入れた場所も秋葉原だった。高校生のころ、裏路地を入ったところにあった店で、富士通ワープロを買った。当時でたばかりの高かった電子辞書を買ったのも秋葉原だった。友達となんの目的もなくぶらぶらした。一人で、歩きまわった。
いつもなくしてから初めて気付く、大切で、特別だったことに。きっと、自分の中の何かが死んでしまったのだろう。ぽっかりと大きな穴があいていて、どこまでも落ちていくような感覚。
ボクにとって秋葉原は”希望”を抱いて行く街だった。たとえ人からそれがどんなに空虚に見えたとしても。。。だから、亡くなられた方、本当に無念だったと思う。悔しかったと思う。やりたいこともいっぱいあったはず。
だから、ただただ悔しくて、悲しい。想いを抱え込んでいると、重さに潰れてしまいそう。だから、こんな場所で吐きだすことを許して欲しい。